誰かを信じるという言

誰かを信じるということは、ネガティブな自分の感情の表れ方を分析できると思う。
過去からさかのぼり、仲の良い人を信じる事は当たり前のことととらえてきたけれども、旗から見た自分の中に、理解もなしに誰かを信じる事を拒み続ける汚い自分がいることに気がつく。
それは、心理学でいう認知的不協和の自己解決とも言える行動を示す。
誰かを信じてしまう時、それは自己確認過程を得た安心だとしか思えない。
人は、誰しも自分に対し、肯定的な意見をするものに、好感を覚えるものだから。
何を信じ、何を尊重し、誰を求めるのかは、その時の気分でもあるけど、まず自分をわきまえなければいけないね。自分の知識がどれだけ未熟であるかを、また知る機会だった。
がっつり固定観念でやられちゃうよ。